2008年12月15日月曜日

移転しました

       




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あほ



「 私が兄弟のなかで一番あほだわ 」

80代の女性が言った

「 どうしてですか? 」

「 だって算数もできなかったし英語もだめ
  女学校もびりで卒業だもの 」

この方はお孫さんにも恵まれ
有意義な生活をおくっている

人生を楽しむ術を知り
とても礼儀正しく明るい方だ

僕はこの方がご兄弟の中で
一番賢い方だと思った

              

2008年12月13日土曜日

大樹


              
何かを習得する際には
先生と呼ばれる人に教えてもらうことが多い

できればこの先生に勢いも人気もあると心強い

しかし勢いも人気もある先生ほど
気をつけなければならないことがある

それはこの先生の影響力に
飲みこまれないようにすることだ

大家と呼ばれる師匠に弟子入りした人達に
意外にも芽が出ない人が多い

距離をとるなり冷静な視点を持ち続けなければ
自分のよさを見失ってしまうのだ

街へ出ると芸能人の髪型と
同じようなスタイルをしている
人たちが多い

大切なのはインパクトある人たちの真似ではなく
インパクトある人たちからの刺激によって
「 自分らしさ 」を引き出すことなのだ
                     
                    

2008年12月9日火曜日

雑種



犬は血統書付きより雑種のほうが丈夫だ

免疫力も強いらしい

犬に限ったことではない

人間の世界においても
絶世の美男美女は人々が入り混じる交易都市に多い

古代文明の発達した地域や
「 0 」の発見などがあった場所は
ほとんどが交通の要所の交易都市だ

こうしたことは生物が異質なものを取り入れることで
進化してきたことを物語っている

人間は異質を取り入れることで自分を強化してきたのだ

血が濃くなると生物として存在することが難しくなるように
異質を排除する仲良しグループが衰退の途をたどるのは
自然の摂理だといっていい

衰退した組織は
ほんの一滴でも異質なものを取り入れることで
再生を果たすことがある

全く異なる業種の人たちとのたわいない会話が
大きなヒントになることがある

「 自分には関係ないや 」なんて言わないで
知らない世界に足を運んでみるといい

少しだけいつもと違う人達との交流をはじめてみるといい

生命の根幹は異質なものを待っている

その刺激は自分を進化させてくれるはずだ
         
     
                                      

2008年12月8日月曜日

離脱


   
日々の出来事や新しく入る知識が
膨大になると処理が追いつかず
身動きが取れなくなってくる

頭がいっぱいになりもう何も進まない

気分転換が必要だ

色々な気分転換の方法があるが
自分の場合は「 旅 」に出ることにしている

旅は普段の習慣から離れ
今まで使ったことのない頭を使う

インドへ行ったときのこと

宿へ着きシャワーを浴びようと蛇口をひねると
熱湯と空気の混ざったものが噴出してきた・・・

ジュパッ  ジュパッ ジュパッ ジュパババ・・・

魔法瓶から出るような熱湯と空気が
凄まじい音を立てて出てきたのだ

危うく顔を洗うところだった

今まで使ったこともない頭と体を駆使して
全裸で蛇口に手を伸ばす・・・

こんなことは日本ではあり得ない

海外へ行くと今までの人生で経験もしたことのない
場面に出くわす

今までの常識や経験が全く通用しない
状況に対応しなければならない

こうした現地での状況に頭と体を使っていると
普段使っていた頭と体は強制的に休息させられる

現地での出来事に右往左往している間
普段使っていた頭は十分な休息を取ることになる

現地の状況にも慣れ旅も終盤になる頃
日常生活で飽和してしまっていた経験や知識は
まとまりをみせはじめる

いつしか霧が晴れ
新たな知恵が生まれている

こんな快感を知ってしまうと
日常生活からの「 離脱 」は
もうやめられない

      
              

2008年12月7日日曜日

無駄


            
人は不必要なことにお金を使う

人は知ってどうするんだということを知ろうとする

人は無駄と思われることに
時間とお金を使ってしまうのだ

反面絶対に必要なことに対しては
完璧な計画を練り財布の紐は硬くなる
      
ではいっそのこと
無駄と思われるようなことをなくしてしまったら
どうだろうか

世の中はさっぱりとした
クリーンな世の中になるのだろうか・・・

いやいや
おそらく気が狂う人が続出するだろう

無駄は生きて行くうえで最も必要なことなのだ

絶対に必要だと思われていることは
実は無駄を支えるために
存在している

こんなことは
本音の部分では皆わかっている

だからこそ無駄と思われることに
莫大な時間とお金を使ってしまうのだ

皆、無駄に向かって進んでいる
無駄のために一生懸命になっている

無駄と思われる世界に身を委ねると
本当に必要なことが見えてきたりする

そんな経験があると
ますます「 無駄 」に
時間とお金を使ってしまうのだ
  
  
     

2008年12月6日土曜日

焦点



子供が学校へ行く時間になると
お腹が痛い、頭が痛いと言ったからといって
お腹と頭痛のことだけを考えていても
何も解決しない

学校に行きたくないという子供の気持ちに
焦点を合わせなければ何もはじまらない

中には
「 うちの子はお腹が弱くて困るんですよ 」
と体調のことしか話さない親もいる

人の本音は行動に現れるものだ

言葉ではなく行動に焦点を合わせること

そうすると複雑に見える人間関係は
もっと簡単になるのではないか

言ってることとやってることが違う人がいたとしたら
やってることを見ればいい
どこに本音があるかわかるはずだ  

とくに切羽詰った時は一目瞭然だ

心に焦点を合わせるともう一段深く
相手を受け止めることができるようになる

親が子供の体調のことしか話さなかった場合
その親の行動や気持ちに焦点を合わせると
そうせざるを得ない背景が見えてくる

何事もどこに焦点を合わせるかで

見えるものは大きく変わってくる


2008年12月4日木曜日

透明



人はいつの間にか自分を縛りつけてしまう
心の枠をはめ込んでしまっている

心にはめ込まれてしまった枠の特徴は
いつはめ込まれたものなのかわからないこと
そして枠そのものが「 透明 」であることだ

いったいどんな形の枠なのか
どんな大きさなのか
全くわからない

にもかかわらず
確実に心の柔軟性を奪い
身動きを取れなくしている

目に見えないため
「 枠などない 」と言い張れば
まかり通ってしまう

少しでも枠の存在を浮き彫りにして
枠をはずしてゆきたいものだ

そのためには
少しでも枠を見えるようにする必要がある

今考えていることや感じていることを
視覚化できるようにしたら
よいのではないだろうか

考えたり感じたことが記録に残るようにすると
よいのではないだろうか

こうした作業によって
心を束縛してしまっている枠が
浮き彫りになるかもしれない・・・

その方法のひとつが文章化だと思う

文章にすると考え方の方向性や
自分がこだわっている部分が見えてくる

会話だと言ってしまったことは
時間と共に忘れてしまい
自分の言葉を客観視することもできない

文章は自分が考えていたこと
感じたことを見直すことが可能だ

さらに好き勝手に書いた文章は心の鏡にもなる

あの状況の時にあんな考え方
こんな状況の時はこんな感じ方・・・

時間が経ち冷静になったとき読み返すと
何でこんなことにこだわっていたのだろう

なんでこんな感じ方をしていたのだろう・・・

少しずつ心の枠が見えてくる

さらに文章をブログ化すると
「 見られている 」という一段高い緊張が加わる

そのため文章はシャープになり
はめ込まれていた「 心の枠 」が姿を現してくる

ブログの作成は外から見ると
「 だからなんだ 」と思うことが
ほとんどなのかもしれない
しかしこれは自分のため
頭の整理整頓
自分自身を客観視する作業なのだ
他人がどうかではなく自分の納得が大切

そして心の枠を浮き彫りにするためには
「 好き勝手 」に書いてゆくこと
ここがポイントのようだ

心の枠が分厚いと
好き勝手に書くことすら邪魔をしてくるときがある

好きなように書いてブログ化する
この作業は自分を知る手掛かりになっている


   

満足



自分なりに考えてきたことが
実現したり達成したときの満足感はたまらない

満足にも色々あるのだろうが
「 自分なりに 」というところが大切のようだ

人に言われたとおりにやって結果が良くても
大きな感動は得られない

それならば自分なりにやって
結果が得られなかった時の方がまだ納得がいく

自分なりのやり方、自分なりのこだわり、
自分なりの考え方でいいのだと思う

横並びを強制するような教育を受け続けると
自分なりの方法でやることに
罪悪感すら感じるようになってしまう

人はそれぞれ育ってきた環境も違えば
考え方や感覚も違う
体格が違えば見えているものだって違ってくる

自分なりのやり方になるのが自然なのだ

自分なりの方法で進んでゆくことが
最も納得のいくものなのだ

しかし「 自分なり 」ということに慣れていないと
つい人真似になってしまう

おおかた成功している人のやり方を
真似しようとするのだが
同じことは絶対にできないものだ

実際は自分なりのやり方を極めて行く際に
成功している人のやり方を
刺激にできる程度なのだ

結局は誰も通ったことのない
自分だけの道を進んで行くことになる

そしてこの道のりだけが
納得のゆく大きな満足をもたらしてくれる


                      

2008年12月2日火曜日

勝手



旅先でトラブルにあったり
いい思いができなかったりすると
あそこへはもう行きたくない
しばらく行かなくてもいいや
なんて思ってしまう

でも時間が経って
考え方も気持ちも変わってくると
また行ってもいいかな
なんて思うようになっている

日ごろの生活でも
絶対に嫌だと思っていたことが
状況が変わった途端
まぁいいか
いや結構いいかもなんて
180度気持ちが変わったりする

人間は勝手だなと思う

池波正太郎氏は著書に
次のように書いている
  
「 人間社会は勘違いによって成り立っている 」
             
恋愛、憎しみ、発明・・・
こんなものだって
元をたどれば勘違いがはじまりだったりする
  
人間はいい加減なものなんだ

電車に乗ると肩が触れただけで
目くじらを立てる人がいるが
所詮いい加減な人間同士
そんなにピリピリしなくても
いいんじゃないかな・・・
   
  
  

2008年12月1日月曜日

解放


  
心技体とあるが

一番大切なのは心

心がニュートラルになっていなければ
何も始まらない

心の作用が人間の魅力といってもいい

がんじがらめになった
心のたがねを外すことで

天とつながることができる

天のパワーが自分の中にふんだんに入ってくる

こういう時は何でもうまくゆく

ほしいかったものが見つかる
  
電車はベストのタイミングで待っている

信号はすべて青・・・・

心がニュートラルのときは
こうしたことが当たり前のように起こる

こんなときはこれでいいんだな、
このやり方で、この発想でいいのだなと思える

心技体の技術や体調管理も大切だが
心以外にこだわりすぎると
いつまで経っても前へは進めない

心の枠を外すことが先決

「 心の枠 」
これがいつの間に
はめ込まれたものなのか・・・
  
ここがまた恐るべきことなのだ
  
  
  
   
           

感謝


  
海外へ行くといつも思うことは
日本の鉄道は世界一だということ

インドへ行った時のこと
14:00発の列車が入線してきたため
列車に乗ろうとしたところ係員に止められた

「 なぜだ? 」と聞くと
「 この列車は朝5:00に来るはずの
列車だ、この切符では乗れない 」という・・・

朝5:00?今は14:00だろうが・・・

「 では自分の列車はいつ来るのか 」と聞くと
「 いつかはわからないが
必ずくるから心配するな 」という

「 ・・・ 」

結局14:00発の列車は
夜9:00にやってきたのだ

何千キロも彼方から何日もかけて
インド亜大陸をかけてくる列車もあるため

目の前に来ている列車がいつのものなのか
判別がつくだけでも凄いと思ってしまう

こうした海外のずぼらな運行体制を目にすると
日本の鉄道の優秀さを実感する

とくに新幹線の技術は世界一だろう

時速200㌔以上での走行

安全性

ダイヤの正確さ

日本の誇りといってもいい

新幹線の原点となったのは
「 0系 」とよばれる車両だ

この「 0系 」は終戦によって
生き場を失ったゼロ戦の技術者達が
渾身の力をこめ作り上げたものだ

いわば戦後の日本の原点といってもいい

日本は「 0系 」の活躍と共に自信と誇りを
呼び覚まし高度成長時代を駆けていった

今は新幹線というと様々な車両が思い浮かぶが
開業当初は「 0系 」のみだった

当時は新幹線に乗ったということが
話題になったがこれは
「 0系 」に乗ったという意味だった

自分も初めて乗った新幹線は「 0系 」だった

世界最速210㌔を確認するため
スピードメーターのあるビッフェに
何度も足を運んだのを憶えている

「 0系 」から発した新幹線は
2012年になると東北新幹線において
時速320キロ運転を開始する
東京~新青森間はわずか3時間5分の予定

「 0系 」は
世界先端技術の原点

「 0系 」のおかげで
日本は世界に誇れるものを手に入れた

日本人の気持ちを支え続けた「 0系 」は
2008年11月30日現役を引退した


ご苦労様、そしてありがとう・・・・