2008年12月15日月曜日

移転しました

       




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あほ



「 私が兄弟のなかで一番あほだわ 」

80代の女性が言った

「 どうしてですか? 」

「 だって算数もできなかったし英語もだめ
  女学校もびりで卒業だもの 」

この方はお孫さんにも恵まれ
有意義な生活をおくっている

人生を楽しむ術を知り
とても礼儀正しく明るい方だ

僕はこの方がご兄弟の中で
一番賢い方だと思った

              

2008年12月13日土曜日

大樹


              
何かを習得する際には
先生と呼ばれる人に教えてもらうことが多い

できればこの先生に勢いも人気もあると心強い

しかし勢いも人気もある先生ほど
気をつけなければならないことがある

それはこの先生の影響力に
飲みこまれないようにすることだ

大家と呼ばれる師匠に弟子入りした人達に
意外にも芽が出ない人が多い

距離をとるなり冷静な視点を持ち続けなければ
自分のよさを見失ってしまうのだ

街へ出ると芸能人の髪型と
同じようなスタイルをしている
人たちが多い

大切なのはインパクトある人たちの真似ではなく
インパクトある人たちからの刺激によって
「 自分らしさ 」を引き出すことなのだ
                     
                    

2008年12月9日火曜日

雑種



犬は血統書付きより雑種のほうが丈夫だ

免疫力も強いらしい

犬に限ったことではない

人間の世界においても
絶世の美男美女は人々が入り混じる交易都市に多い

古代文明の発達した地域や
「 0 」の発見などがあった場所は
ほとんどが交通の要所の交易都市だ

こうしたことは生物が異質なものを取り入れることで
進化してきたことを物語っている

人間は異質を取り入れることで自分を強化してきたのだ

血が濃くなると生物として存在することが難しくなるように
異質を排除する仲良しグループが衰退の途をたどるのは
自然の摂理だといっていい

衰退した組織は
ほんの一滴でも異質なものを取り入れることで
再生を果たすことがある

全く異なる業種の人たちとのたわいない会話が
大きなヒントになることがある

「 自分には関係ないや 」なんて言わないで
知らない世界に足を運んでみるといい

少しだけいつもと違う人達との交流をはじめてみるといい

生命の根幹は異質なものを待っている

その刺激は自分を進化させてくれるはずだ
         
     
                                      

2008年12月8日月曜日

離脱


   
日々の出来事や新しく入る知識が
膨大になると処理が追いつかず
身動きが取れなくなってくる

頭がいっぱいになりもう何も進まない

気分転換が必要だ

色々な気分転換の方法があるが
自分の場合は「 旅 」に出ることにしている

旅は普段の習慣から離れ
今まで使ったことのない頭を使う

インドへ行ったときのこと

宿へ着きシャワーを浴びようと蛇口をひねると
熱湯と空気の混ざったものが噴出してきた・・・

ジュパッ  ジュパッ ジュパッ ジュパババ・・・

魔法瓶から出るような熱湯と空気が
凄まじい音を立てて出てきたのだ

危うく顔を洗うところだった

今まで使ったこともない頭と体を駆使して
全裸で蛇口に手を伸ばす・・・

こんなことは日本ではあり得ない

海外へ行くと今までの人生で経験もしたことのない
場面に出くわす

今までの常識や経験が全く通用しない
状況に対応しなければならない

こうした現地での状況に頭と体を使っていると
普段使っていた頭と体は強制的に休息させられる

現地での出来事に右往左往している間
普段使っていた頭は十分な休息を取ることになる

現地の状況にも慣れ旅も終盤になる頃
日常生活で飽和してしまっていた経験や知識は
まとまりをみせはじめる

いつしか霧が晴れ
新たな知恵が生まれている

こんな快感を知ってしまうと
日常生活からの「 離脱 」は
もうやめられない

      
              

2008年12月7日日曜日

無駄


            
人は不必要なことにお金を使う

人は知ってどうするんだということを知ろうとする

人は無駄と思われることに
時間とお金を使ってしまうのだ

反面絶対に必要なことに対しては
完璧な計画を練り財布の紐は硬くなる
      
ではいっそのこと
無駄と思われるようなことをなくしてしまったら
どうだろうか

世の中はさっぱりとした
クリーンな世の中になるのだろうか・・・

いやいや
おそらく気が狂う人が続出するだろう

無駄は生きて行くうえで最も必要なことなのだ

絶対に必要だと思われていることは
実は無駄を支えるために
存在している

こんなことは
本音の部分では皆わかっている

だからこそ無駄と思われることに
莫大な時間とお金を使ってしまうのだ

皆、無駄に向かって進んでいる
無駄のために一生懸命になっている

無駄と思われる世界に身を委ねると
本当に必要なことが見えてきたりする

そんな経験があると
ますます「 無駄 」に
時間とお金を使ってしまうのだ
  
  
     

2008年12月6日土曜日

焦点



子供が学校へ行く時間になると
お腹が痛い、頭が痛いと言ったからといって
お腹と頭痛のことだけを考えていても
何も解決しない

学校に行きたくないという子供の気持ちに
焦点を合わせなければ何もはじまらない

中には
「 うちの子はお腹が弱くて困るんですよ 」
と体調のことしか話さない親もいる

人の本音は行動に現れるものだ

言葉ではなく行動に焦点を合わせること

そうすると複雑に見える人間関係は
もっと簡単になるのではないか

言ってることとやってることが違う人がいたとしたら
やってることを見ればいい
どこに本音があるかわかるはずだ  

とくに切羽詰った時は一目瞭然だ

心に焦点を合わせるともう一段深く
相手を受け止めることができるようになる

親が子供の体調のことしか話さなかった場合
その親の行動や気持ちに焦点を合わせると
そうせざるを得ない背景が見えてくる

何事もどこに焦点を合わせるかで

見えるものは大きく変わってくる


2008年12月4日木曜日

透明



人はいつの間にか自分を縛りつけてしまう
心の枠をはめ込んでしまっている

心にはめ込まれてしまった枠の特徴は
いつはめ込まれたものなのかわからないこと
そして枠そのものが「 透明 」であることだ

いったいどんな形の枠なのか
どんな大きさなのか
全くわからない

にもかかわらず
確実に心の柔軟性を奪い
身動きを取れなくしている

目に見えないため
「 枠などない 」と言い張れば
まかり通ってしまう

少しでも枠の存在を浮き彫りにして
枠をはずしてゆきたいものだ

そのためには
少しでも枠を見えるようにする必要がある

今考えていることや感じていることを
視覚化できるようにしたら
よいのではないだろうか

考えたり感じたことが記録に残るようにすると
よいのではないだろうか

こうした作業によって
心を束縛してしまっている枠が
浮き彫りになるかもしれない・・・

その方法のひとつが文章化だと思う

文章にすると考え方の方向性や
自分がこだわっている部分が見えてくる

会話だと言ってしまったことは
時間と共に忘れてしまい
自分の言葉を客観視することもできない

文章は自分が考えていたこと
感じたことを見直すことが可能だ

さらに好き勝手に書いた文章は心の鏡にもなる

あの状況の時にあんな考え方
こんな状況の時はこんな感じ方・・・

時間が経ち冷静になったとき読み返すと
何でこんなことにこだわっていたのだろう

なんでこんな感じ方をしていたのだろう・・・

少しずつ心の枠が見えてくる

さらに文章をブログ化すると
「 見られている 」という一段高い緊張が加わる

そのため文章はシャープになり
はめ込まれていた「 心の枠 」が姿を現してくる

ブログの作成は外から見ると
「 だからなんだ 」と思うことが
ほとんどなのかもしれない
しかしこれは自分のため
頭の整理整頓
自分自身を客観視する作業なのだ
他人がどうかではなく自分の納得が大切

そして心の枠を浮き彫りにするためには
「 好き勝手 」に書いてゆくこと
ここがポイントのようだ

心の枠が分厚いと
好き勝手に書くことすら邪魔をしてくるときがある

好きなように書いてブログ化する
この作業は自分を知る手掛かりになっている


   

満足



自分なりに考えてきたことが
実現したり達成したときの満足感はたまらない

満足にも色々あるのだろうが
「 自分なりに 」というところが大切のようだ

人に言われたとおりにやって結果が良くても
大きな感動は得られない

それならば自分なりにやって
結果が得られなかった時の方がまだ納得がいく

自分なりのやり方、自分なりのこだわり、
自分なりの考え方でいいのだと思う

横並びを強制するような教育を受け続けると
自分なりの方法でやることに
罪悪感すら感じるようになってしまう

人はそれぞれ育ってきた環境も違えば
考え方や感覚も違う
体格が違えば見えているものだって違ってくる

自分なりのやり方になるのが自然なのだ

自分なりの方法で進んでゆくことが
最も納得のいくものなのだ

しかし「 自分なり 」ということに慣れていないと
つい人真似になってしまう

おおかた成功している人のやり方を
真似しようとするのだが
同じことは絶対にできないものだ

実際は自分なりのやり方を極めて行く際に
成功している人のやり方を
刺激にできる程度なのだ

結局は誰も通ったことのない
自分だけの道を進んで行くことになる

そしてこの道のりだけが
納得のゆく大きな満足をもたらしてくれる


                      

2008年12月2日火曜日

勝手



旅先でトラブルにあったり
いい思いができなかったりすると
あそこへはもう行きたくない
しばらく行かなくてもいいや
なんて思ってしまう

でも時間が経って
考え方も気持ちも変わってくると
また行ってもいいかな
なんて思うようになっている

日ごろの生活でも
絶対に嫌だと思っていたことが
状況が変わった途端
まぁいいか
いや結構いいかもなんて
180度気持ちが変わったりする

人間は勝手だなと思う

池波正太郎氏は著書に
次のように書いている
  
「 人間社会は勘違いによって成り立っている 」
             
恋愛、憎しみ、発明・・・
こんなものだって
元をたどれば勘違いがはじまりだったりする
  
人間はいい加減なものなんだ

電車に乗ると肩が触れただけで
目くじらを立てる人がいるが
所詮いい加減な人間同士
そんなにピリピリしなくても
いいんじゃないかな・・・
   
  
  

2008年12月1日月曜日

解放


  
心技体とあるが

一番大切なのは心

心がニュートラルになっていなければ
何も始まらない

心の作用が人間の魅力といってもいい

がんじがらめになった
心のたがねを外すことで

天とつながることができる

天のパワーが自分の中にふんだんに入ってくる

こういう時は何でもうまくゆく

ほしいかったものが見つかる
  
電車はベストのタイミングで待っている

信号はすべて青・・・・

心がニュートラルのときは
こうしたことが当たり前のように起こる

こんなときはこれでいいんだな、
このやり方で、この発想でいいのだなと思える

心技体の技術や体調管理も大切だが
心以外にこだわりすぎると
いつまで経っても前へは進めない

心の枠を外すことが先決

「 心の枠 」
これがいつの間に
はめ込まれたものなのか・・・
  
ここがまた恐るべきことなのだ
  
  
  
   
           

感謝


  
海外へ行くといつも思うことは
日本の鉄道は世界一だということ

インドへ行った時のこと
14:00発の列車が入線してきたため
列車に乗ろうとしたところ係員に止められた

「 なぜだ? 」と聞くと
「 この列車は朝5:00に来るはずの
列車だ、この切符では乗れない 」という・・・

朝5:00?今は14:00だろうが・・・

「 では自分の列車はいつ来るのか 」と聞くと
「 いつかはわからないが
必ずくるから心配するな 」という

「 ・・・ 」

結局14:00発の列車は
夜9:00にやってきたのだ

何千キロも彼方から何日もかけて
インド亜大陸をかけてくる列車もあるため

目の前に来ている列車がいつのものなのか
判別がつくだけでも凄いと思ってしまう

こうした海外のずぼらな運行体制を目にすると
日本の鉄道の優秀さを実感する

とくに新幹線の技術は世界一だろう

時速200㌔以上での走行

安全性

ダイヤの正確さ

日本の誇りといってもいい

新幹線の原点となったのは
「 0系 」とよばれる車両だ

この「 0系 」は終戦によって
生き場を失ったゼロ戦の技術者達が
渾身の力をこめ作り上げたものだ

いわば戦後の日本の原点といってもいい

日本は「 0系 」の活躍と共に自信と誇りを
呼び覚まし高度成長時代を駆けていった

今は新幹線というと様々な車両が思い浮かぶが
開業当初は「 0系 」のみだった

当時は新幹線に乗ったということが
話題になったがこれは
「 0系 」に乗ったという意味だった

自分も初めて乗った新幹線は「 0系 」だった

世界最速210㌔を確認するため
スピードメーターのあるビッフェに
何度も足を運んだのを憶えている

「 0系 」から発した新幹線は
2012年になると東北新幹線において
時速320キロ運転を開始する
東京~新青森間はわずか3時間5分の予定

「 0系 」は
世界先端技術の原点

「 0系 」のおかげで
日本は世界に誇れるものを手に入れた

日本人の気持ちを支え続けた「 0系 」は
2008年11月30日現役を引退した


ご苦労様、そしてありがとう・・・・

  

2008年11月28日金曜日

理解


   
伝統技術の習得は
師弟関係での教育法が多かった

説明もなく理屈も理解できないまま
見よう見まねで憶えたものだ

そしてようやく技術が身につくようになると
いつしか理論が頭に入り
説明すらできるようになっていた

ここまで到達するには
相当な時間を費やしたものだ

理解には頭での理解と体での理解がある

頭での理解は比較的短期間でできるが
体での理解はそう簡単にはいかない

最近は頭の理解が速い人が
増えたように思う
それはそれでいいことなのかもしれないが
頭の理解だけで終わってしまう人が
多いのではないだろうか

頭の中で辻褄が合ってしまうとそこで満足してまう
その先の行動の変化までたどり着くことがない

理解とは行動に反映されるようになってはじめて
理解したといえるのではないか

これは最近の教育が
理論から入ることがほとんどで
理論が終わればそれで合格してしまうような制度に
なっているからではないだろうか

理論一辺倒な教育は

何かを身につけ、何かを学ぶということが
あたかも理論だけ

辻褄合わせの作業であると錯覚を
起こさせてしまうのではないだろうか・・・

体が憶え込むまでは

本当の理解に到達することはできない

体が憶え込む道のりは理論どおりには行かない
効率もよくない、時間がかかるものなのだ

理論一辺倒な教育を受け
学ぶということに錯覚を起こしてしまうと
それ以外の道のりは

受け入れがたいものになってしまう

それゆえ効率の良くなさそうな事態が発生すると
投げ出してしまう人が増えてしまった

ところがいくら効率を追求したところで
  
真の理解を得るには

理屈も理解できずに見よう見まねで憶えていた頃と

同じだけの時間が必要なのだ

      

好み



好きなことは夢中になれて楽しい
   
自分が好きなものと
自分に合っているいるものとが
一致していれば言うことはない

しかし好きだと思いこんでいた物事が
必ずしも自分に合っているとは
限らないようだ

そのため「 好きだ 」という強い思いは
時に自分に合うものを遠ざけてしまいかねない

好きなだけではなく
自分に合っている物事は納得がいくうえ
周囲の人たちにパワーを与えられる

決して自分よがりではないのだ
 
自分に合っている物事は
ちょっと力を入れただけなのにすいすい進んでゆく

イチロー選手は
プロのピッチャーになることを夢見ていた
しかし仰木監督に
 「 お前に合っているのは
  ピッチャーではなく外野だ 」
と言われピッチャーへのこだわりを捨て
外野手としてのデビューを果たす

長年自分は「 これだ 」と思い込んでいたものに
少しだけ冷静な視点を加える・・・

今よりもっと
自分に合うものが見つかるかもしれない
  
  

計画



何事にも計画がいる

未知の領域に入る時は
どんな事態が発生しても対応できるよう
綿密な計画が必要だ

初めてインドへ行ったときのこと

不安要素が多かったので情報をかき集めた
地球の歩き方や経験者の話 ・・・

わかってきたことは最初に降り立つ
深夜のデリー国際空港が危険だということ

ボッタクリ、盗難、置き引き、連れ去り・・・

どの本を読んでも同じようなことが書いてあった

被害者のエピソードも数多く読んだ

そのためか調べれば調べる程不安感は上昇した

そして計画は綿密を極め
どんな事態に遭遇しても対処できるよう
チャート式になった

この場合はこう対処しよう、
こういう事態はこうしよう・・・

しかし不安感はぬぐいされないまま
深夜のデリー国際空港に着いてしまった・・・

結果は630ドルをボラレてしまったのだ

こんなはずではなかったという
予想外の事態が発生・・・
   
綿密な計画は全く機能せず
一瞬でぶっ飛んでしまったのだ

頭は真っ白、相手のなすがまま・・・

何度も読んだはずの
被害者のエピソードそのまままの展開・・・

計画上のシュミレーションに
こだわりすぎていたため
計画外の事態に頭も体も動かなかった・・・
  
物事は行動に移してからではないとわからない
ことが多いのだ

ましてはじめての世界ではなお更だ

わかったことは
計画は綿密にしようとするときりがない

その上計画外の事態が発生した時には
全く役に立たない
   
どんなに不安が強かったとしても
必要以上の細かな計画は意味をなさない
  
  
計画に必要なことは綿密さではなく
不測の事態が発生しても受け止めることのできる
「 ゆとり 」なのだということ

こんな些細なことなのだが
630ドルの”授業料”の
おかげで気がついたことなのだ
   
  
  

共鳴


  
犬の散歩に行った

犬にも相性がある

相性のいい犬同士は鼻をくっつけじゃれ合う

匂いや気配でわかるのだろうか
相性のよくない犬は大通りの反対側にいても威嚇し合う

面白いのは犬の相性がよくない飼い主同士は
どう見てもこれまた相性がよくないのだ

向こうはどう思っているのかは知らないが
とても話かけたいとは思えない飼い主なのだ

波長というものがある

波長の合うものは近くにいる
波長の合わないものは反発しあう

波長がもっと大きなものになると
共鳴ということになるのだろうか

コンサート会場での聴衆の大合唱は
共鳴そのものだろう

本が大量に売れることだって
著者と読者の共鳴によるものだ

歴史を振り返ると

インドにおいて
マハトマ・ガンジーが非暴力の行進をしていた頃

何千キロも離れたアメリカにおいて
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが
非暴力の抵抗をはじめていた

共鳴現象は距離を選ばない

何か特殊な連絡回路で結ばれているかのようだ

人間は何か大きな歯車によって動かされ
目に見えないベルトコンベアによって進んでいる

そして自分で動かし自分で歩いていると
思い込んでいる


こんなことを動物たちはずっと前から知っていたに違いない


  

2008年11月27日木曜日

怒り


  
怒るなとか
怒るとよくないとか言うけれど
やっぱり怒りたい時がある
     
怒りには
怒った直後に体が重くなってくるものと
体が軽くなるものがある

体が軽くなったときは怒って正解だったな思う

重たくなったときはなぜなのか
色々考える
すぐに答えが出る時とそうでない時がある

体が全てを教えてくれる

理屈に惑わされそうなときも体は正直だ
体が重たくなってきたり
肩が凝ってきたら
何と言われようとやめることにしている
   
体が軽くなってきたら辻褄が合わなくても
実行することにしている

怒りに限らずやってしまったことが
正しかったのか間違っていたのかは
体に聴くようにしている
  
この判断法で嫌な思いをしたことは一度もない

体にはまだ動物としてのセンサーが残っているようだ
このセンサーのおかげで
正しかったのか正しくなかったのかが
わかるようになってきた

できれば怒る前にわかりたいのだが・・・
   

2008年11月25日火曜日

想像



物事はほんの少しの見える部分と
多くの見えない部分から成り立っている

親しい友人や家族であっても
実は相手のほとんどの部分を知らないものなのだ

自分が見ているのは
相手のほんの一部分にしか過ぎない

その人がかかわってきた
人間関係や親子関係のことも
実際はよくわかっていない

目の前にいる人は我々の全く知らない
多くの関係や経験を経て存在しているのだ

自分自身に置き換えても同じことがいえる

どんなに親しい関係の人でさえも
自分自身の全ては知らないはずだ

ある一側面だけをもって
人を判断してしまうような人は
違う側面を見せられた途端驚いてしまう・・

怒りだす人すらいる

こうした人は少しでも自分が描いた状態とは
異なった結果になると我慢できないようだ

目に見えない部分をどこまで想像しようとするのか

人間関係において
相手が置かれている状況を想像できる度合いは
そのまま思いやりの度合いにつながってゆく


仮に目の前にりんごあったとする
そのりんごは寒い雪国で育ち
栽培者の血のにじむような作業によって
できあがったものだ

しかしスーパーに置いてあるりんごを見ていても
赤くて丸いという以外何もわからない

何事も自分が見ているのはほんの一部で
物事は目に見えていない多くの事柄から
成り立っているのだ

このことが少しでも頭に入れば
おのずと謙虚な気持ちが芽生えてくる

大切なのは想像力ということになるのではないか
   
  

望遠


 
望遠レンズを使って写真を撮ると
狙った被写体が強調され迫力ある写真になる

しかし少しずつ広角にしてゆくと
何だこんな状況だったのか
という背景が見えてくる

旅行のパンフレットなどを見ると
望遠を効かせた絶妙なアングルで旅心をくすぐる

しかし鵜呑みにしてはいけない

小樽の運河の写真を見たことがあるだろうか

旅行のパンフレットに乗るような絵になる
場所はパフレットにのっているその一画でしかない

おそらく広角でとらえたら
何だこんなところかというような
風景でしかないのだ

日々我々はテレビを見ているが
テレビの画像もまたテレビの枠に収まる
選び抜かれたアングルでまとめられてる

その背景までは我々の眼に届いていない

正確な情報ではないということだ

正確な情報とは自分の目で見て確認したこと

ここからの距離が遠くなればなるほど
情報としての精度は落ちてくるものなのだ
  
   
     

治癒

 
人は何かしらのトラウマをもっていることが多い
人はこのトラウマによって心の形や
偏ったものの考え方をつくってしまう

こうした心の状態や思考法と波長が合ったものが
病気という形でやってくる

病気でない場合は事件や事故
その他のトラブルがやってくる

一時的に痛みが取れたり
症状が軽減したところで何も解決しない

そのため病気やトラブルは
その人に気づきが起きるまで
繰り返しやってくるのだ

治すのは医者でもなく薬でもない

痛みが取れたり、症状がなくなったりする際には
その人が抱えていた問題が解決されたり
間違った人生観や価値観に
「 気づき 」が起きていなければならない

病気が癒える過程で
その人自身が何かをつかみ取った時
初めて「 治った 」といえるのだ

「 治る 」手立てをサポートする
これが本当に医療ではないだろうか・・・

それゆえ治療の行き着く究極は
トラウマからの解放ということになる


   

2008年11月24日月曜日

不変

   
映画「 レッド・クリフ 」を観てきた

三国志「 赤壁の戦い 」

蜀と呉が
同盟を結び
強国魏に立ち向かってゆく

蜀と呉は自分たちの弱さを認め
同盟を結んだからこそ曹操率いる強国魏に
立ち向かってゆくことができたのだ

ここに生き抜くヒントがある

人間はだれしもそのひとなりの弱さがある
この弱さを隠したり否定したりしているうちは
強くなれない    

「赤壁の戦い」が教えてくれていることは
人は自分の弱さを認めることができた時
強く生きてゆくことができるということ

 
三国志の時代から千年以上経った現代
人間が手にする物は凄まじい進歩を遂げた

しかし進歩したのは機械類だけで
人間は何も進歩していない

現代人は機械類と同じように
自分達も進化したものと
錯覚を起こしてしまったのだろうか

自分たちだけで
何でもかんでもやうろうとして
生きずまっているのではないだろうか

子供を5人も6人も育てることが
できたのは皆で育てたからなのだ

人間は三国志の時代と何も変わっていない

弱さ受け入れることが
強く生きて行く秘訣であることに
今も昔も変わりはないのだ


   

2008年11月20日木曜日

防衛


沖縄県慶良間諸島へ行った

那覇よりフェリ-にておよそ2時間

海は世界有数の透明度、魚の群れや珊瑚礁・・・

こんな島で自転車を借りた

自転車には鍵が付いていない・・・

「 鍵はないんですか? 」

「 鍵? いらないよ、大丈夫だから行っておいで 」

島を巡ると鍵をかけている自転車はおろか車や
家も開けっ放しだ

島の人たちにとってはあの車が誰のものか
何てことはすぐにわかってしうのだろうが・・・

この離島では身を守ることにエネルギーを使わない

都会生活で当たり前のように使ってきた
身を守るための時間や労力・・・

2重ロックや防犯ベル、防犯カメラ、警備会社・・・
この島では不要だ

身を守ることにエネルギーを使わないと
エネルギーはどこへゆくのか・・・

それはこの島を見る限り
人々のコミュニケーションに使われている

道を聞いただけなのに話がとまらない
おじぃやおばぁ

自分の家だか他人の家だかわからないような
子供たちの振る舞い

警戒する必要がなくなると
こんなにもゆとりが生まれるものなのか

豊かさといってもいい

慶良間の空気はそんなことを教えてくれた


視点を変えてみると

日本の防衛費には莫大な税金が使われている

東西冷戦が終了すると
旅客機の飛行ルートが変わった

宇宙の平和利用が始まり
カーナビゲーションや衛星放送が普及した

警戒する必要がなくなったら
世界は大きく変わるに違いない


   

2008年11月18日火曜日

眼力


   
皆が行くから

皆が良いというから

だから自分も・・・

それでは
皆が行かないところはどうなのか

皆がよくないと言っていることはどうなのか

こんな人がいた

伊豆にて群発地震が起きていた頃

ホテルや旅館はキャンセルが相次いだ

観光協会は
観光客を呼び込むため必死になっていた

しかし群発地震が収まりつつあったにもかかわらず
観光客はなかなか戻ってこなかった

そんな折この人は伊豆へ旅行へ行った

すると・・・

いつも渋滞するはずの海岸沿いの国道はガラガラ

ホテルに着くと
海の見える大部屋に通されVIP待遇

大浴場は貸切状態・・・
 
受けたことのない最高のもてなしを満喫した

皆が行くから 皆が言うから・・・
この言葉ほどあてにならないものはない

実際、皆がいいと言うようになった頃にはピークを
過ぎてしまったものが多い

皆が良くないと言うものの中には
買い時のものがある

大事なのは自分が判断していいと思うかどうか
この作業を繰り返していかない限り
見る目はついていかない

    

2008年11月16日日曜日

お金



およそ1ヶ月の予定で インドへ行った時のこと
870ドルを持って行った

初めて降り立つインド
玄関口は深夜のデリー国際空港

正直言ってかなりびびっていた

薄暗い空港ロビー
  
ゲートを出た途端 ・・・
 
ヘイ! トモダチ
ナカタ  イチロー シッテル  トモダチ
  
服を引っ張る者 バックを揺する者
ポケットに手を突っ込んでくる者・・・
もう何がなんだかわからない・・
わかっているのは囲まれたということ
  
結論から言ってこの日630ドルをボラれてしまった

果てしなくトホホなインド旅行のスタートとなってしまったのだ

当時インドの物価は安く
宿代や交通費など全部含めて
その後の1ヶ月は19000円しか使わなかった

630ドルという額がいかに大きかったことか・・・

高い授業料になってしまった

何でこんな事になったのか

現場での出来事のこともあるが
旅行後
お金の動きについて考えるようになった

インド旅行に関しては
とにかくお金をかけないで行こうと決めていた

そろえられるものはできるだけ100円ショップで・・・
買っても安売りのスーパーで間に合わす・・・

どうやらこの発想がよくなかったようだ

お金には法則があるのだ

それは
入ったら必ず出て行くということ

仮に100万円入ったら必ず30万円は出てゆく

どんなに抵抗しても30万円は出てゆくものなのだ

つまり必ず出て行ってしまう30万円なのだから
自分の意志で使うのがいい

ただしパチンコやマージャンなどに使うのではなく
将来の自分のため人様のために自分の意志で
使ってしまうのだ
  
自分の意志での出費だから納得がいく
  
そうするとそれ以上の不意な出費は発生しない

歯を食いしばって
1円たりとも出ないように頑張ると
事故や病気やらで
結局30万円出費することになってしまうのだ
歯を食いしばりすぎると
30万円以上の出費になりかねない

どうやらお金にはこうした法則があるようだ

インド旅行を振り返ると
事前準備をケチり過ぎたことが
不意な出費を招いてしまった

その後の旅行へは事前投資をたっぷりしてから
出かけるようにした

それ以来お金に関するトラブルは起きていない
   
   
   

2008年11月15日土曜日

関係(2)



掃除、片付けをやらない人がいる

この人が引越しをした

粗大ゴミやら分別できないガラクタを
大家さんの玄関先に山済みにしてきたそうだ
  
   
この人
離婚歴2回
交通事故で
全治6ヶ月の重症を負ったことがある

関係あるんじゃないか?
  
  

2008年11月13日木曜日

関係


  
こんな社長がいた

この方の話を聞いていると
全てが人の批判、愚痴、批評なのだ

要するに自分が一番偉いということらしい
自分と意見の合わない人は
駄目な人間ということらしい
  
   
この社長
駅のホームから3回転落している

関係あるんじゃないか?
   
     

話題


   
噂話・・・
ひどい目に遭った?
   
ちょっと待てよ

人の話ばかりするなよ

そうなる前にあんた何をやったんだい?
 
そのことが原因じゃないのか

その話をしたらどうだい

自分の話を始めなければ状況の変化は起きないさ

例えて言うなら
北朝鮮が核兵器や拉致の問題を棚上げにして
経済援助しろ
船を寄港させろと言ったって始まらないじゃないか

まずは自分の話をしてみたらどうだい?

できそうになければ相談という形でもいいんじゃないか?
なぜ自分は同じ振る舞いを繰り返してしまうのかと・・・

自分の話をして視野が広がったり視点が増えることは
とても気分のいいことなんだ
    
 

意味



インドへ行った

そこには人々を階級分けするカースト制度が
色濃く残っていた
 
人々は決められた階級の中でしか生きてゆけない
 
最下層の物乞いのもとに生まれたら
一生涯地べたで生きてゆかなければならない
風呂に入ることも 靴を履くこともなく
埃にまみれた真っ黒な体のまま一生を終える

どんなに才能があろうとも決められた階級で
一生を終わらなければならない

そこには努力の入る余地はなく
悲惨としかいいようがない

一方マハラジャと呼ばれる上層階級がある
召使い30人 
1000万以上する高級車に運転手付き
彼らもまた何の才能がなくても
一生涯マハラジャとして生きて行く

彼らの人生はどこの階級に命を授かったかで
全てが決まるといっても過言ではない
もはや運としかいいようがないのだ

こんな世界を知って以来
自分が日本人として命を授かったことは
一つの運であったろうし何かしらの意味が
あるのではないかと考えるようになった
 
   

2008年11月11日火曜日

突破


  
棟方志功記念館へ行った

作品や製作時の映像を見ることができた

彼の第一印象はまさに 「 変人 」

版画を彫っている時は眼球が板に触れそうな距離

話し方や動作もどこか常人とは異なる

味のある、見ているだけでも飽きない存在

そしてあの独特な作風

作品にはねぶたの影響を強く感じた
 
彼のもつ強い個性を当時の社会や学校は
どう受けとめていたのだろうか

彼の才能を認め
支え続けた周囲の尽力は相当なものであったろう


現代の学校や社会は枠に当てはまらない個性を
どこまで受けとめることができるのだろうか・・・・
  
いつの時代もすばらしい才能を秘めながら
世間の常識からは自然と外れてしまう人がいる
  
一見すると「 例外 」と思われることも
とことん磨きこんでゆくと思わぬ光を放つことがある
    
効率化、平均点化を求めすぎると
人間の持つ大きな魅力を失ってゆくことに
なりかねない
 
それは人間のスケールが
規則や常識に収まるものではないからなのだ
   
     

2008年11月2日日曜日

変化



世の中には
変化を好む人と
変化を好まない人がいる

変化を好む人は
物事の原因を自分に求め成長する
 
変化を好まない人は
原因を他人や状況、規則などの外に求め
自身の変化を拒絶する

変化を好まない人に変化を求めることは
犬に猫になれと言っているようなもので
無理な話なのだ

人には2種類のタイプがあるということ

自分はどちらのタイプなのか
またコミュニケーションをとろうとしている相手は
どちらのタイプなのか
その判別ができているとゆとりが生まれる
  
突き詰めていくと変化を好む人と好まない人は
相容れない人種なのかもしれない
 
   
  

2008年10月31日金曜日

わび さび


  
生きていると
目に見えないこと
形にならないことで
人の世話になっていたり
迷惑をかけていたりする

こうしたことが何なのかを
具体的に気がつくことは難しい
 
過去にお世話になったことも忘れてしまいがちだ

何かやってもらったからお返しをする
やってもらっていないから何もしない

これでは人間関係のバランスは取れない

自分の気がつかないところで
誰かの世話になっているかもしれないという意識が
潤いある人間関係を作ってゆく
 
やってもらったことが具体的に確認できなくても
人様のために動くことで
はじめて人間関係のバランスがとれるのだ

この行為には感謝の気持ちがふくまれている
  
   
状況を察する、相手を察する

気がついたことがあれば人様のために動く
 
このことは本来日本人がもっている

「 わび さび 」の世界に
つながるのではないだろうか

   

2008年10月24日金曜日

情報


  
ネットが普及する以前
さらにはテレビ、雑誌などの情報が
さほど頼りにされていなかった時代
情報は口コミによってもたらされていた

人と人とのつながりが情報源だった

質の高い情報がほしければ
質の高いコミュニケーション能力を
身に着けていなければならなかった

聴く力のある人のところへは
様々な情報が様々な人たちから寄せられた

質の高い情報を持っている人は
質の高い人間性を持っていたのだ

それゆえ人間性を磨くことは世界を広げることにつながった

知りたければ教えてもらわなければならず
あいさつなどの礼儀作法ができなければ
相手にもされなかった

礼儀作法や道徳観念を持っていることが
最低限の情報収集能力にもなっていたのだ


ところが

インターネットが普及するようになると
コミュニケーション能力がなくても
情報を得ることができるようになった

そのためネットを通して得た情報は
「 人間力 」を介していない
   
礼儀作法や道徳観念を持っていなくても
情報が手に入るようになってしまった

情報を得るために人間性を磨く必要性は薄れてしまったのだ

口コミによって支えられたお店は
それなりの雰囲気や趣があったものだ

こうしたお店は
最低限の人間性とコミュニケーション能力を
兼ね備えた人たちによって支えられていたのだ

しかしネットが普及してから
売り上げは伸びたものの
店の雰囲気や趣はすっかり変わってしまった

ネットの普及は情報収集を容易にした反面
人々のコミュニケーション能力を低下させ孤独を生んだ


どんなに情報化が進んでも
原点は
生身の人と人とのつながりであることを
忘れてはいけない
   
    

2008年10月17日金曜日

特性


  
カメラのレンズを買った

高価なレンズで半年以上悩んだ末手に入れた

ところが写真を撮ってみると・・・
 
思っていたように上手く撮れない
 
期待していた画質が得られない

慣れないためなのか・・  
   
1年以上が過ぎ、
このレンズには強い癖があることがわかってきた
 
平均点狙いの
万人受けするレンズではないのだ

そのため特性が発揮される領域は非常にせまく
この領域に入らないと絵にならない
しかしこのせまい領域に被写体が入った時は
他のレンズを圧倒する

特性にあった使い方をした時のみ
レンズは生きてくるのだ
  
最も力を発揮する場面はどんな時なのか
どんな被写体が得意なのか
弱点は何か・・
 
こんなことを考えながら使っていると
見えてきたことがある


それは「 人間 」も同じだということ
 
 
万人受けを考えているうちは
なにも見えてこない
 
自分の最も優れている部分はどこなのか
最も得意な分野は何なのか
もっともっと考えるべきではないか
 
その人の特性が生かされた時
世界は変わる
  
  

2008年9月29日月曜日

プロ



いつだったか野球の日本シリーズを見ていた
卯木監督率いるオリックスと
野村監督率いるヤクルトとの対戦だったように思う
 
クライマックスの場面
ツーアウト満塁、打順はイチローに・・・
結果はどうであったかは憶えていないが
この試合で何度かあった満塁の場面で
なぜか打順はイチローにまわってきた

解説者も
「 まさに千両役者! 」
といっていたのを憶えている
 
何事においても
物事の決定的瞬間に立ち会える確率はきわめて低い

しかし幾度となく出会う人がいる
  
多くの決定的瞬間をとらえるカメラマンもいる
  
不思議だ
  
プロとは
決定的場面や出会いを
引き寄せる力のある人のことではないか

身近なところにも
素晴らしい仲間との出会いを引き寄せる人
感動する出来事との出会い
素晴らしい風景との出会いを繰り返す人

見方を変えると世の中には様々な「 プロ 」がいる

2008年9月19日金曜日

順序



自分が動けば周囲は変わらざるを得ない

人のことに手を出す前に

自分のことを精一杯やる

それこそが自分のために
  
そして周囲のために
  
一番必要なことではないか
  
  
 

2008年9月18日木曜日

視界


  
自分で選ぶ   自分で決める   自分で描く
 
その結果  失敗もする   成功もする

人のせいにはできない

しかしこのことを繰り返さないかぎり

自分は見えてこない

これが生きる原点じゃないか

  
  
 

2008年9月17日水曜日

方向


 
動物は生きている以上、老いや別れがある
     
なかでも人間は悲しい方向に物を考えがちだ 

それゆえ、楽しいこと、うれしいことに目を向け

喜びを作っていかなければならない
 
 

癒しとは



その場所、その空間で一番弱い人に

目を向けているか

弱い人が安心できる世界

それは全ての人が癒される世界なのだ
 
 

主語は自分か


  
友人が、先輩が、上司が、先生が、

親が、娘が、息子が、彼が、彼女が、

規則が、仕事が、占いが、体調が・・・
 

自分が、自分は、私は、に置き換えよう

 

2008年8月11日月曜日

キューバ



内務省とゲバラの壁画

エルネスト・ゲバラとフィデル・カストロ

2人はカストロの亡命先メキシコで

運命的な出会いを果たす

この「 出会い 」がキューバ革命を成功させ

現在のキューバ社会を作りあげたといっても過言ではない


世界を作っているのは「 出会い 」なのだ




キューバ



「 医療は無償で万人に享受されるべき 」

というキューバ政府の徹底した方針は

カストロとゲバラの意見の一致だけではなく

ゲバラが医師であったこと

自らが重度の喘息を患っていたこととも

関係があるのかもしれない


キューバにおいて医療費はかからない

臓器移植から老人介護施設まで完全無料

薬局は24時間営業

チェルノブイリ原発の被爆者は

キューバの病院に収容されている

2008年1月よりエイズワクチンの試験投与がはじまった




2008年8月9日土曜日

キューバ




明るいということ

それは生きて行くうえで最も大切なことなのだ


2008年8月6日水曜日

キューバ



自然体

これほど簡単そうで難しいものはない



キューバ



若者たち


言語はスペイン語

何を言っているのかは理解できなくても

何をやろうとしているのかはわかってしまう

言語はコミュニケーション手段の一つに過ぎない



キューバ



ヘミングウェイ宅(フィンカ・ビヒア邸)


書斎を亜熱帯とは思えないさわやかな風が

吹き抜けてゆく・・・

トイレにも本棚がある、敷地内にはプールもある

まさに「 男の城 」の決定版


キューバ



コヒマルの海岸

ヘミングウェイはここから

愛船ピラール号に乗って好きな時に海へ出た

そのときの体験が

著書「 老人と海 」を作り上げた

ヘミングウェイは

キューバで多くのインスピレーションを得たようだ


2008年7月11日金曜日

カンボジア シェムリアップ


 
アンコールワットの子供


彼らは必死に生きている
 
観光客を見る目は複雑だ

 

長崎県 佐世保市

日本にはアメリカ軍の施設が想像以上に多い

軍港として栄えたこの町には

名物 「 佐世保バーガー 」 がある



長崎県 外海町


遠藤周作の小説 「 沈黙 」の舞台


隠れキリシタンは

この海を見ながら身をひそめた



静岡県 由比町



東海道五十三次  由比宿  

広重はここから描いたのか・・・


静岡県 由比町


静岡は産物が豊富・・・

新鮮な魚  春には桜海老
お茶  いちご  みかん
水も美味しい   温泉もある   富士山もある

いいんだよな・・・